列王記第一13章11−34節

2020.05.21 Thursday 11:06
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    JUGEMテーマ:教会キリスト教

     

    みことばに背いたイスラエルに裁きのことばを宣告するために用いられ、王の懐柔にも乗らなかった高潔な「神の人」。しかし、早くもその夜、自分自身が主のことばに背き、死をもってその責任を負うことになりました。『みことばの光』はその「みことばを取り次ぐ者としての責任」を正しく強調しています。「主のことば」は決して「はい」と言いながら「いいえ」と言うようなものではない、決して「むなしく」神ご自身のもとに「帰って」行かないものだということを、私たちも肝に銘じなければなりません(イザ55:11)。

     

    しかし、あまりにも厳しい扱いではないか、と私たちは思うでしょう。騙されてしたことです。しかも、騙す人は「主のことば」だという預言者たちに対する「殺し文句」を使って騙したのです。

     

    確かに厳しいお取り扱いです。でも、何度も読むと、聖書記者の目はそういう私たちのような人間的な視点には置かれていないことに気づかされてきます。

    騙した預言者は、「神の人」の埋葬を済ませた後、自分も同じところに埋葬するよう息子たちに申し渡してからこう言います。「あの人が主のことばにしたがって、ベテルにある祭壇とサマリアの町々にあるすべての高き所の宮に向かって叫んだことばは、必ず成就するからだ。」

    預言者は、結果的に主のことばに背いて獅子に殺された「神の人」の姿の中に、主のことばに背いたゆえに必ず滅びると彼がイスラエルに対して語った預言の成就を見ているのです。なぜなら、主のことばに従おうとしてなお「神の人」はその背きの責任を取らされたのです。増してやヤロブアムの、「場所や方法はみことばのとおりでなくても神を礼拝しているのだからいい」という言い訳は絶対通用しないからです。

    ですから、「神の人」は死してなお、その憐憫を禁じ得ない死を通しても神のことばを伝えているということができます。

    それに、「神の人」が御国に入れなかったとは言われていません。

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