列王記第一13章1−10節

2020.05.20 Wednesday 09:06
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    JUGEMテーマ:教会キリスト教

     

    首相が報道機関の有力者たちと会食する。民主主義の発達した国では決して起こり得ないことが日本では起こっています。その結果、報道が歪められていることが多くの人たちに指摘されています。

     

    礼拝場所を勝手に北イスラエル内に創設し、その祭壇で礼拝を献げていたヤロブアムの許に、「神の人」が遣わされて来ます(1)。彼は祭壇に向かってこの甚だしい背信行為に対する神の裁きと、そのしるしを宣告します(2−3)。ヤロブアムはこの人の逮捕を命じるため祭壇から手を差し伸ばしますが、その手はしなび、元に戻すことができなくなりました。また、裁きのしるしが早くも現れ、祭壇が裂け、灰がこぼれました(4−5)。驚いた王は手の平を返したように、この人にとりなしの祈りを願い、その結果手は元どおりになります。そこで王はこの人を王宮での会食に誘い、プレゼントを約束します(6−7)。すぐ元どおりになって再び「異なった火」を献げるようになるヤロブアムですから、「神の人」を懐柔するつもりだったのでしょう。

     

    しかし、「神の人」は真実な神のみことばの「報道官」です。彼は神に命じられた通りきっぱりと王の申し出を拒否し、「ほかの道」を通って帰って行ったのでした(8−10)。「ほかの道」を通って帰って行った(元来た道を通らなかった)ことは、元どおりになった王の手と異教的礼拝行為とは対照的です。彼は習慣や自分の思い、人のことばには従わず、神のみことばにのみ聞き従ったのです。みことばをそのまま伝える報道官自身、みことばに忠実だったのです。

     

    こういう人たちがいるので、神の御心を正しく知り、悔い改めて滅びを免れる人がいつの時代にも起こされます。もしここでみことばが歪められたら誰が救われるでしょうか。

    幸いなことに、報道関係者が懐柔され、文書が改竄・隠蔽され、真実を知るすべがなくなったように見えても、私たちが救われるために十分な真実が聖書に記録されています。いのちを賭して「神の報道官」としての使命を貫いた「神の人」や預言者たちのお陰とも言えます。何よりも、神の人類に対する大きな大きな恵みとあわれみのゆえです。

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