誰の畑か?

2020.06.04 Thursday 08:51
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    JUGEMテーマ:つぶやき。

     

    「そこで、アハブは彼女に言った。「私がイズレエル人ナボテに『金を払うから、おまえのぶどう畑を譲ってほしい。あるいは、おまえが望むなら、代わりのぶどう畑をやってもよい』と言ったのに、彼は『私のぶどう畑はあなたに譲れません』と答えたからだ。」(列王記第二21章6節)

     

    今、イスラエルのアハブ王は拗ね、妻のイゼベルに愚痴っています。自分の宮殿のそばにあった地所を、その所有者であるナボテが譲ってくれなかったからです。アハブは王の権威と金を用いて駄々っ子のようにほしがり、断られるとふて寝します。それでも、力づくで奪おうとしなかったのは、さすがに良心が咎めたからでしょう。

     

    そこに妻のイゼベルがやって来て、夫に「情け」をかけます。残酷な悪女の深情けです。彼女は王の代わりに奪って進ぜようと申し出、人々の信頼が篤い町の長老たちを用い、偽証者を立て、ナボテに無実の罪を着せて石打ちにして殺します。そこでアハブは意気揚々とナボテの畑を奪いに下って行ったのでした。

     

    自分から同心円状に広がる仲間内では情に篤く、一方でその「外」(王である自分に「忖度」しない人々)に対しては無情・冷酷、そして残酷で不条理な仕打ちができる。まるでこの夫婦の姿は、現代日本の首相とその取り巻き連中の姿のようでもあります。政治家たちに期待される正義や公正がほとんど見られません。もはやその良心は麻痺してしまったかのようにも見えます。

     

    ところで、冒頭のアハブのことばの中に、ナボテの言葉が出て来ます。彼は畑を譲ってほしい(実は「譲れ」)というアハブに対して「譲れません」と言いました。でも、ナボテ自身の言葉が微妙にアハブの中で変化していることに気付かされます。ナボテが実際に言ったのは「先祖のゆずりの地をあなたに譲るなど、主にかけてあり得ないことです」です。彼は自分の土地が自分のものではなく、神の定めに従って神が割り当てられたものなので、譲れないと言っているのです。法、正義、公正に基づいて譲れないと言っているのです。彼はすべての人の神である主の前に生きています。ところが、そのナボテの言葉はアハブの中で、「私のぶどう畑」に変化してしまっているのです。アハブの中で、ナボテは自分と同じ、私利私欲に生きる人になってしまっているのです。

     

    「ネトサポ」と呼ばれる人たちが、室井佑月さんを一斉に誹謗中傷し始めました。室井さんが首相を非難したからです。室井さんが求めて来たのは、(言葉は苛烈ですが)一国の首相が法に従い、正義と公正を行うようになるという、当たり前のことです。それをただの誹謗中傷と混同し、罵倒するところに、アハブのメンタリティや物の見方が垣間見えます。それは、彼らの支持する首相のそれでもあります。そして、首相はイゼベルのように、自分が据えたお抱え高級官僚たちを使い、ネトサポだけでなく彼ら自身を証言者に仕立て(その意味でイゼベルよりも露骨ですね)、自分より弱い者、貧しい者から奪い取っているのです。

     

    しかし、問題の本質は、この世がすべてのものの究極的な所有者である神を知らないことにあります。そのことを覚えるとき、自らの襟を正される思いがします。そして、神を知る知識が海のようにこの地を覆うようになることを願わされます(イザヤ11:9)。

    category:みことば迷想 | by:Petroscomments(0) | -

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