詩篇82篇

2020.10.29 Thursday 08:27
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    JUGEMテーマ:教会キリスト教

     

    今朝の箇所に出て来る「神々」は、『みことばの光』が言うように、地上の支配者たち、すなわちこの世界の主である神によって立てられ、神のことばによって正しい裁きを実行することが期待されている者たちのことだと思われます(ヨハネ10:34−35参照)。その立場に立って読むと、まさに私たちのこの国の現状が暴かれているようにも思います。

     

    「神のことば」という絶対的な基準、支配者たちも被支配者たちも同等に服すべき基準が失われると、政治や裁判は権力を持つ支配者たちの恣意に委ねられ、正しい裁きが曲げられ、権力を持たない貧しい者や弱い者たちが不利益を被ることになります。今、このコロナ禍にあって、そのような「政治禍」も表面化して来ています。自殺者が増えていることや小規模会社が必要な手当てを受けられず倒産に追い込まれていること、同じ悪いことをしても権力の側に立つ者たちは裁かれないでいることなどを思うと、身につまされる思いがします。神は彼らに「弱い者と貧しい者を助け出し/悪しき者たちの手から救い出」すことを期待されましたが、彼ら自身が神の前に「悪しき者」となっているのです。しかも、貧しい者、弱い者たちの中にも、何とか今の状況から逃れるために、正義や公正を打ち捨てても権力の側につきたいと願う人たちが相当数います。そのため、この現状はなかなか変わりません。

     

    この詩篇の作者はしかし、そのような現実を前にしても意気消沈したり、怯んだりしてはいないようです。「神よ 立ち上がって 地をさばいてください。/あなたが すべての国々を/ご自分のものとしておられるからです」と、支配者の中の支配者であられる神を見上げています。見えない神を信仰の目で見つめています。神がやがて来られ、ご自分の絶対的なみことばをもって悪しき支配者たちをさばかれることに、信仰によって望みを置いています(8)。

    同時に、キリストの支配が明らかにされた今、私たちは自らの身を戒め、正義と公正の実現に努めることを主から期待されています。すなわち、自分自身の貧しさ、弱さを知り、キリストの恵みのご支配を知らされた者たちとして、同じ貧しさ、弱さをもつ人々に寄り添い、共に歩むのです。主の前に、自分自身が問われることを怠ってはなりません。神のさばきは教会から始まるのですから(汽撻謄4:17)。

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